チャップリンと逃避行

お気に入りの本やテレビや映画、素敵な音楽や場所などをつれづれに

米津玄師の音楽からみるハイブリッドなコンテンツを創りだしていく時代性


米津玄師 MV「Flamingo」


いちいちカッコイイなあ。

米津玄師。


彼の音楽を聴いていると、なんだか複数の音楽を同時に聴いているような感覚になることがある。民謡と洋楽とアジア系の音楽とJポップと・・・なんだろうこれは。色んなものが融合しているこの感じが妙にカッコイイなあなんて思いながら新曲『Flamingo』を聴いておりました。


ジャンルを超越して良いものを創っていく、もうそんな時代なんでしょう。

音楽だけでなく、国境ですらこの先の世界ではあいまいになっていくという話もきいたことが。今までずっとあると思われていた色んな境界線がどんどんなくなって、横に広がっていく世界。

ボーダーレス。


現実の世界だけでなく、さらに心の在り方も境界線があいまいになっていくのかもしれないですね。

横にいるのは敵ではなく、一緒に技術や知恵を持ち寄って新しいものを創っていく仲間だ。

どれだけ多くのものを持っているかではなく、どれだけ持っているものを進化させていけるか。


きっと今、ものすごいスピードで世界は変化している。

夫婦は「他人」だけれど「家族」という難しさ~ドラマ『カルテット』7話より~

f:id:ikuji-mama-blogger:20170309140126p:plain

ドラマ『カルテット』がじんわり面白い。

人を選ぶ脚本かもしれないけれど、30代既婚者の私はじんわりと心に響くドラマである。

第7話は、松たか子演じる真紀と宮藤官九郎演じる幹生の夫婦の物語。

結婚して「他人」同士が「家族」になるということ

「夫婦」は他人であり「家族」である。

まったく違う家庭で育ち、文化も価値観も違うところだらけ。でも惹かれるところがあるから、個人的な付き合いに発展する。そして結婚して、あたたかい家庭に憧れる。結婚する。

最初は周囲からも祝福されたり、新しい環境で新鮮、そしてパートナーができたことへの喜びであふれている。何でもひとりでだったのが、基本なんでも2人でになる。心強いし楽しい。

でも、一緒に暮らすときっと、どんな人間ができた者同士であっても必ず何らかの違和感が発生する。そりゃそうだろう、2人は育てた親も違えば環境も考え方も色んな事が違っているのだから。恋人だった時は「自分」と「恋人」をどこか分けて考えられる部分があるけれど、「夫婦」になった瞬間に2人で共に同じ方向に進んでいかなきゃならないのだから。ましてや他人と一緒に。

親や学校で子供の頃に道徳の時間はあったけれど、「他人と一緒に上手くやっていく方法」は誰も教えてくれなかった。

真紀と幹生もお互いに惹かれあい結婚するけれど、結婚前には気にならなかったほんの少しのズレが一緒に暮らしているうちにやがて大きなズレとなって、それを互いに伝えきれず心離れていく。2人は会話をしているようで、相手の話を聴いていなかったり、知らず知らずのうちに自分の価値観を押し付けていたりする。

幹生が口にした「愛してるけど、好きじゃない」という言葉は、「家族」ではあるけれどもうあの頃の「大好きな真紀さん」ではないということなのかなと思った。

でも、「家族」でありながら「恋人」であるって可能なことなんだろうか?

どんなに激しい恋をしても永遠にその気持ちは続かない、と私は人生のある時点で思った。ずっと恋人みたいでいられる夫婦なんて皆無に近いのではとも思っている。でも、その激しい恋を経て「家族」へと進化することはできると思う。「恋人みたいでいたい」という気持ちは分からなくはないが、なんだか人間の心理的にずーっと一緒にいてその状態をキープするのって無理があるのではと思ってしまう。

むしろ「他人」が「夫婦」になって「家族」になることのほうがスゴイことのような気もするけれど、目指すところはそこしかないのかもしれないなーと。いや、それは私の思い込みであって、本当にいつまでも恋人のような夫婦はいるのかもしれないけれど。テレビなんかでたまにそういった夫を婦見ることがあるけれど、ほとんどの場合それは人から羨まれるための嘘であったりどちらかがそう思っているだけ、、、なのではないかと私みたいな人間は思ってしまう。まあ、本物もいるのかもしれませんが(笑)

夫婦って難しいけど・・・

自分の子供は無条件に愛せる。

けれど、夫は無条件には愛せない。

というのはきっと多くの夫婦が感じていることだと思う。けれど、夫婦ってお互いにすごく頼もしい唯一の存在にもなりうるし、まったくの他人である相手が家族になるって難しくもあるけれどものすごい色んな刺激や学びを与えられるのだろうなと思う。自分の親や子供は良くも悪くも自分と同種の人間であったりすることが多いけれど、他人は新しい風を送り込んでくれる存在。

私自身は結婚6年目だけれど、今の夫は私にないものを確実に持っていて、今までの自分の固まった価値観を時々おもいっきりぶっこわす存在だ。ケンカになることもあるけれど、自分と全然違う人の存在はやっぱり貴重なんだと最近特に実感。だって、自分の考えや価値観が常に正しいわけはないんです、人間。

頑固で我が強めの私は、けっこう夫に自分がいつも正しいと思ってるやろといわれます。自分が正しいと主張することは多々あるけれど、実は常に自分が正しいとは思っていないんだよ!と言いたいけれど頑固さが邪魔して言えません。いつも多くの私のワガママを受け容れてくれ、たいがいのことは口出しせずあたたかく見守ってくれる夫。悪く言えばあまり頼りがいがなく、私が動かないと何もはじまらないともいえる。世の中のことはなんでもすべてに裏と表が存在するから、それはもう仕方のないこと。仮に頼りがいがあって男らしい男性であっても、裏を返せば束縛してきたりその人の言うことをきかないと怒る人かもしれない。私はきっとそっちのほうがイヤなのでしょう。

夫から見てもきっと思うところはたくさんあるのだろうね(汗)

結婚して夫婦になることはすぐできる。

けれど、夫婦でいつづけることはけっこう難しい。

結婚したくないという人の気持ちもなんだか分かる気がする、けれど結婚するのも悪くない。

顔の形でわかる性格・性質②~人相学~

f:id:ikuji-mama-blogger:20170202133147p:plain

丸形タイプ(丸い顔とあご、ぷっくり広い頬)

五行では「水」の性質を持ちます。
顔色は黒味がかった肌色となるでしょう。

水のように柔軟にかたちを変えることができ、何事にも臨機応変に対応できるのが特徴です。流行に敏感でセンスがあります。中年期の運気がとても強いため、晩年に向けて地盤を固めると良いでしょう。本能に忠実で、日々楽しく気持ちの向くままに生きることを大切にしています。お金も人も大好き。持ち前の好奇心でどんな世界にも飛び込んでチャレンジして成功をつかむ才能があります。人に合わせすぎてストレスがたまることがあるので、注意が必要です。

卵形タイプ(小さな額とあご、美しい輪郭)

五行では「金」「水」の性質を持ちます。

顔のバランスが全体的に良く、気品を漂わせています。人当たりが良く周囲との調和を大切にするので、高感度も高く何かと人に助けてもらえるでしょう。外見が美しい人が多く、洗練された感性と教養がありますのでセンスを生かした分野で活躍できる有能な人。ただ、八方美人と思われることがありますので本当に気の合う人や大切な人のことは大事にしましょう。

ダイヤモンドタイプ(角ばった額とあごと発達した頬骨)

五行では「木」「火」「土」の性質を持ちます。

生命力がとても強く、自分で自分の運命を切り開いていくパイオニア。エネルギーを仕事にすべて注ぐタイプの人が多く、ビジネスの才能に長けています。簡単には人に心を開かず、自分の有利になる人を直感的に選んで人付き合いをする傾向にあります。仕事に行き詰った時に何か息抜きができる方法を自分で見つけておく必要があります。

ハート形タイプ(ほおがふんわり丸く、顎はシャープ)

五行では「木」「火」「水」の性質を持ちます。

優しいイメージのふんわりした輪郭をもつこのタイプはどこか放っておけない人で、常に周囲に助けになる人が集まってきます。理想が高いロマンチストで、優れた感性を持つためクリエイティブな仕事がぴったりです。一生を通じて経済的には恵まれ、中年期に人に尽くして過ごせば良い晩年を迎えられるはずです。体調によって運気が浮き沈みするので、常に健康には注意を払ってください。

顔の形でわかる性格・性質①~人相学~

f:id:ikuji-mama-blogger:20170202133147p:plain


顔の形は、その人の性格や性質を見分けるときにとても役立ちます。
顔の輪郭(形)の特徴は、五行(木・火・土・金・水)にも対応しています。四柱推命の命式と照らし合わせると、その人の持つ五行と顔の形の特徴はだいたい一致していることが分かります。四柱推命を勉強しながら、生年月日から分かる命式が顔のかたちと割とぴったりと対応していることにいつも驚きます。

逆三角形タイプ(広い額、先細りの顎)

五行では「木」の性質を持ちます。
顔色は青みがかった肌色であることが多いです。

天に伸びる樹木のようにまっすぐ目標に向かって邁進するタイプで、頭の上部が大きいのは向学心旺盛で頭脳明晰であることをあらわしています。人生の早期に大成しやすく、繊細で創造性にあふれる芸術家タイプといえるでしょう。独自の世界観を大切にしていて、世間の評価よりも自分の内面世界を重んじる傾向にあります。高い理想を追求するあまり、経済的なことなどの現実的なことが時におろそかになりがちなので注意も必要です。

三角形タイプ(狭い額、広い顎)

五行では「火」の性質を持ちます。
顔色は赤みがかった肌色であることが多いでしょう。

燃え盛る火のようにエネルギッシュで行動力のある人です。熱しやすく冷めやすい性格で衝動的に行動することがあるため、周囲を驚かせることがあります。情に厚く面倒見もよいため、自然とグループのリーダーになることも多いでしょう。短気なところはたまにキズ。大器晩成型で、年齢を重ねるごとに魅力が増していくでしょう。

正方形タイプ(額とあご骨が幅広い)

五行では「土」の性質を持ちます。
顔色は黄色がかった肌色になります。

土の性質も持つため、何事も基礎を固めそこからものごとをじっくり進めていきます。「意志」を重んじ一度決めると何が何でも最後までやりぬく不屈の精神力の持ち主。対人関係でも仕事でも評価は高いのですが、考え方が固すぎて上手く会話ができないなどの不器用な一面もあります。コツコツと重ねる努力により、それが立派に実を結ぶ人生となります。

長方形タイプ(額と上顎が縦長に発達している)

五行では「金」の性質を持ちます。
顔色は、つやのある白となります。

生まれながらに華やかさがあり、周囲から何かと一目置かれることが多いでしょう。知性と行動力をあわせ持ち、金の性質でもある洗練された優雅さを備えています。人当たりが良く社交性があり、家族運も良い人が多いでしょう。とても強運の持ち主のため、体力もつけておかないと自分の運に翻弄されることがあるので注意が必要です。


※続きは次回のブログで

占いで幸せになる人、不幸になる人

f:id:ikuji-mama-blogger:20170208231327j:plain

「占い」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?

占いに懐疑的な人や過去に占い師などに悪い結果を言われた人はきっと、何か胡散臭いマイナスなイメージを持っているかもしれません。逆に占いによって幸せを掴んだ人などはきっとプラスの良いイメージをお持ちでしょう。

「占い」って一体何でしょうか?

生年月日やその時引くカードなどでその人の運勢や性格が分かるって、考えてみればとてもとても驚異的です。本当にそんなことができるなら、それは魔法に匹敵しそうです。

でも、たとえば四柱推命やタロットなんかは歴史がある占術で、そしてそれが証明するすごい的中率です。だから占いにハマる人がいるし、当たる占い師と評判が立てばそこには行列ができます。人は皆それぞれに悩みや迷いを心に抱えながら生きていて、時に何かに頼りたくなってしまうものです。きっと誰しも、不安な時やピンチの時に何かに頼りたいと思ったことは人生の中で一度はあるはず。

占いは絶対ではないけれど、占い結果は何かを知りたかったり悩んだりしている人に「こんな考え方もありますよ」「こうなる可能性をあなたは秘めていますよ」というアドバイスをくれるのだと思います。

時々勘違いされやすいのは、占いは「あなたはこうだ!」と断言してくれて、良い結果が出れば幸せで悪い結果が出ると不幸だと決めつけるものであると思う人がいること。占いというものはインパクトがあるし、人間、未来予測や性格がこうだといわれると「そうなのかな」という気持ちになるのは普通のことだと思います。だって、普通に生きていて自分の性格や未来のことなんてなかなか分かることじゃないですもんね。悩んでいるときなんかは余計に占いの結果に引っ張られてしまうこともあるし。

でも、占いってひとつの可能性だと思うのです。

決して「あなたはこうだ」「こうでなければならない」「こうなってしまう」ということではなく、「努力なしに怠惰に生きていくとこうなってしまうこともある」「今は新しいことを始めるよりも今目の前のことを頑張るほうが良い時期」というような意味でとらえると、きっと占いは人生の指針となってくれるはずです。

占いで不幸になってしまう人は、占いに依存してしまう人です。そして、何もかも結果を鵜呑みにしてただ嘆いている人。

占いで幸せになる人は、どんな結果が出ようともそれを本当の意味で生かせる人です。

今自分はどう動くべきか?

自分の長所をどう生かし、欠点をどうカバーして時に生かしていくべきか?

自分の頭で考えて、占い結果に背中を押してもらいながら生きていける人は幸せになれるのではないでしょうか。

「幸せ」と「不幸」は背中合わせ。これらは誰かに与えられるものではなく、結局は自分の考え方と感じ方次第なんですね。相田みつをさんが「しあわせは自分のこころが決める」とおっしゃってたのはそういうことではないかなと思います。


でもなんだかんだ言ってやっぱり占いってすごい!

と思うのです。

世代を超えて愛されるバンド、スピッツの魅力について語りたい

f:id:ikuji-mama-blogger:20170218135805j:plain

中学生の頃、スピッツの『チェリー』をミュージックステーションで新曲披露ではじめて聴いた時、鳥肌が立った。

スピッツの存在はロビンソンがリリースされるより少し前から知っていたけれど、そもそも音楽を聴いて鳥肌が立って涙が出たのははじめてのことだった。だから今でもあの瞬間は心に焼き付いたままだ。

中学生の私がその時どんな心情で毎日を過ごしていたかはっきりとは覚えていないけれど、女子中特有のイジメみたいなものであったり、グループ同士の対立といったような日々心が疲れる環境にいたことは間違いない。仲の良い友達や母に「学校やめたい」と何度も訴えていたような気がする。別に自分がイジメにあっていたわけでもないけれど、所属していたクラブ内でのイジメは泥沼化していてもうその輪にいること自体が毎日苦痛で仕方なかった。

イジメや無視、嫌がらせ、先生イジメ。思春期真っ只中のそんな女子の世界は私をとことん精神的に追い詰めていた。今となってはどうということはないことのように思えるけれど、中学生の過敏で多感で臆病だった当時の私からすると嫌な毎日で、そこにいるみんなが嫌いに思えるほどだった。

そんな多感な時期にリリースされた曲だからということもあってか、チェリーという曲の緩やかでほんのりあたたかみのあるメロディーに癒された。そして何より、マサムネさんのすべての人をじんわりと肯定してくれるような素敵な歌詞!


どんなに歩いても 辿り着けない 心の雪に濡れた頬

悪魔のふりして切り裂いた歌を 春の風に舞う花びらに変えて


この歌詞がとても好き。全体的に抑揚の少ない曲の中で、この部分になると一気にぶわっと世界の広がりを見せる感じが。

マサムネさんの歌詞の世界観は唯一無二の存在感がある気がする。本人にしかわからない世界のような、全世界の人に共通した気持ちが表現されているような。そんな不思議さがあるのです。


もう20年以上活動しているバンドで、スピッツは変わらない部分と進化している部分をとても絶妙なバランスで保っているグループではないかと思う。

すごいと思うのは、スピッツの曲は自分が落ち込んだり不安でいっぱいの時でも、すごく幸せで悩みなんかないハイな時でもいつでも聴けるところ。たいがいのアーティストはどちらかの気分の時は聴けなかったりするので。

年齢を重ねるごとに人は変化していく。

それに伴ってアーティストも表現の方法や内容も変わっていく。

それは普通のことで、自分だって年齢や時期でどんどん自分が変化する。

スピッツの曲はほとんど全部聴いているけれど、初期のヒバリのこころも最近の『醒めない』も色んな変化はあれどどちらもやっぱりスピッツだ。


中学生から2児の母親になるまでスピッツを聴き続けているけれど、それぞれのステージでスピッツはいつも私の心を照らしてくれている。昔のスピッツの曲を聴けば、その曲が流れていた頃の自分にあった出来事や感情を思い出す。

音楽のすごさってこういうところにあるなあと。

『小さな生き物』は、はじめての出産という大きな出来事に寄り添っていてくれた。


今はまだ娘も息子も幼いけれど、いつか私が母と一緒にスピッツのライブに行ったように、家族でスピッツに会いに行きたいと思うのです。

人間はこんなにも自由だ!『100均フリーダム』が創りだす唐突でテキトーな世界観

f:id:ikuji-mama-blogger:20170216225738j:plain

最近の100均はスゴイ。

まるで100円には見えないような商品が本当にたくさんあるし、広い店舗だと全部見てまわれないほどの商品数がある。最近は100均で揃えた道具や材料でDIYをしている人も多く、ちょっとしたブームになっているらしい。セリアなんかは本当にクオリティの高い商品がたくさんあって見ているだけで楽しいし、ついつい行くと色々と買ってしまう。

まさに100均マジック。

しかしだ・・・

そんな素晴らしい100均でも「これ、何に使うん」「てか、そもそもこれは何なん」「いや、誰に向けてこの商品作ったん?」というような疑問しかわいてこない不思議な商品が存在することも事実だ。ツッコミどころ満載のナゾの商品たち。

商品開発の過程でだれか止めなかったのか?というような、シュールである意味斬新な商品をツッコミ目線で面白おかしく紹介しているのがこの『100均フリーダム』という本だ。

ざっくりした自由すぎる100均精神

この本に紹介されている100均の商品は、基本ツッコミ待ちみたいなところがある。首が長すぎる芸者の人形の置き物、アザラシにも見えるが判断に迷うガラスのオブジェ、なすびが車体になっている車・・・買う人のニーズを考えずただただ作りたいという衝動や好奇心から作られたようなものばかりである。

○×ゲームはご存知だろうか。 そう、チラシの裏などにタテタテヨコヨコの線を引いて順番に○と×を書いていって、3つ並べたら勝ちのあのゲームであります。あれがなんと、100円で商品化されているのです!この本の作者は、この商品をはじめてみたときしばらく動けなかったらしい。そして、この商品を開発した人に激しい嫉妬と羨望のまなざしだと書いてあった(笑)

「いる」か「いらない」かの2択なら、絶対「いらない」モノたち。

でも。

そんなざっくり100均商品から学べることってあるんじゃないか?

そうだ、あるじゃないか!

とこの本を読んでいるとそう思わせてくれる。

自由すぎる100均商品から学べるもの

それは・・・

①私たちはすぐ「どう役に立つのか」とか「何の意味があるのか」と買い物をする時だけでなく普段から考えがちだ。でもそれはただ固定観念に縛られているだけなのかもしれない。実用的でなくても、意味なんてなくても商品としてちゃんと存在することができるし、意味は買ってから自分で使い方を考えて後からつければいい。人生も同じだ。もともと人生に意味なんてものはなく、あとから自分でつけるものなのだ・・・きっと。

②「アリ」か「ナシ」かでいうジャッジにおいて、ほとんどが「アリ」にできるところが100均の奥深さだと筆者はいう。その愛の深さが100均の最大の魅力だと。そうだ、私たちは大人になるにつれて受け容れられるものの範囲がどんどん狭くなっているではないか。あの人はダメ、このやり方でないとダメ、自分はダメ・・・ダメダメづくしでどんどん窮屈な人生になる。いや、これってもしかして「アリ」なんじゃないか!?とちょっと自分の容量を広げてみることで、別の世界が広がるのだよ。100均商品はそんなことを私たちに語っているのかもしれない。

③「まあええやん」ざっくり100均商品からはこんな声が聞こえてくるのは私だけだろうか。人形の首の繋ぎ目がおかしい・・・まあええやん。ビーズを接着しているボンドの量が多すぎる・・・まあええやん。そんなまあええやん精神に満ち溢れているのがざっくり100均商品。そこからは」「100円なんやし、まあええやん?許してや」感がにじみ出ている。いや、湧き出している。ある意味開き直っている。そんな常識を超えた堂々とした開き直り精神を持つことで、人が生きやすくなることは間違いない。